ナチュラル

8月のメイカーフェアでデイリーのライターの岡本智博さんがきびだんごを差し入れてくれた。

撤収しながらそれを食べていたら乙女電芸部の人たちが横を通ったので、

「あ、きびだんごあるんで、よかったらどうですか」

と言って配った。

あ、おれいま桃太郎みたいなこと言ってる!と思った。

桃太郎はイヌやサルにこんな感じで団子をすすめたのだろうか。

人生にはナチュラルに桃太郎みたいになる瞬間があるのか。驚きである。

SFホラー

火星が開拓されて観光地になると、すしざんまいができるだろう。

オープンに向けて資材を運んでいる宇宙船が故障することもあるかもしれない。

外壁に隙間ができて空気が漏れはじめるのだ。

ちょうど火星に持っていく途中のすしざんまいの社長人形が目について、それを隙間に詰めて応急処置をする。

だが、徐々に真空に吸い出される社長の人形。

宇宙船の窓から、さっきまでは頭頂部しか見えてなかったのに徐々に顔まで見えてくる。

空気がなくなるのも顔が見えているのも怖い。

というSFホラーを寝る前に考えました。

いちばん大きな無

なんでもでかい物を売っているGreatBigStuffというサイトがある。

でかいアウトドアチェア

でかいギター

でかいテイクアウトボックスもあった。

どれも消費社会の果てであるアメリカらしい商品でおもしろい。好きだ。

いちばんすごいなと思ったのはこの商品、「無」だ。Whole Lotta Nothin’ は強引に訳すと「たくさんの無のすべて」だろうか。

あなたが見たことないいちばん大きい無。まったくなにもない。インドアでもアウトドアでも使えて、ベッドルームやキッチン、ロケットにもマッチする。注文しても何も送りません。1ドル。

などと書いてある。

大きいだけじゃなくて、最大の無、みたいな暗黒物質みたいな話みたいになっている。消費社会の果てじゃなくて宇宙の果てだったか。

こういう商売がしたいなと思っているのは言うまでもない。どういうつもりなのか店主に話も聞きたい。

シール

ありがとうといい続けていたら出来たきれいな結晶、のシールというものがあったと人から聞いた。

水にありがとうと言ってしまう系の話だが、最後にシールになっているのがとてもおもしろい。いいと思っているのにシール。

・遣隋使が大陸から持ち帰ろうとしたありがたいお経、のシール
・アムンゼンに先を越されて落胆するスコット、のシール
・息子の帰国を願う野口英世の母の手紙、のシール

ありがたさが台なしである。

裏にのりが付いてる、いちど貼ったらおしまい、そもそもどこに貼っていいのかわからないというところで、いい話が駆逐されている。マグネットならいいかな…と思うがそんなことを考えさせないで欲しい。

でも、おもしろいからありがたいシールを作ろう。

なんでこんなことになったんだっけ?

横浜駅にうんこが落ちていたらしい。昨日Twitterで少し話題になっていた。

恐ろしい。

なぜならそれは僕のうんこだったかもしれないからだ。

駅でトイレに行きたくなって、もうだめだと思ったことは何度もある。もしかしたら一線を越えて漏らす可能性もないとはいえない。もしそのとき半ズボンで、もらしたうんこが裾から転がり落ちていたら?

僕が作っていた投稿サイト「死ぬかと思った」にも、便秘中のうさぎのようなうんこを漏らしてズボンの裾から転げ落ちたという投稿があった。

裾から出る可能性は、ある。

惑星直列のように複数のタイミングが重なったとき、迷惑行為の当事者になってしまうのだ。ふつうの休日だったはずなのに、帰ってきて大事になっているのを知ってぞっとしているのは僕やあなただったかもしれない。警察は家に来るのだろうか。

今日渋谷駅で、むき出しのたこ焼きとソースが入った小皿を持ったまま走っている男を見た。

彼もまたいろんな偶然が重なってあんな不思議な状況になったのだろう。

どちらも「なんでこんなことになったんだっけ?」である。

ドラマの主人公世代

むかしCS放送でやっていた番組名が思い出せず、パソコンをあさっていたら14年前にスカパー!の会員誌に寄稿したコラムが出てきた。

その指摘になるほどと思ったのでそのまま転載する。

TBSチャンネルの1980年代のドラマをよく見ている。とくに「ふぞろいの林檎たち」は欠かさず見ている。Ⅱ、Ⅲと実際の年の経過にシンクロして登場人物が歳をとってゆくのがリアルだ。
で、前から思っていたのだが、有名なテレビドラマ、青春を描いたドラマの登場人物は1960年代半ば生まれである。
例を挙げると
・「3年B組 金八先生」1979年放送、登場人物は中学3年生なので1965年頃生まれ。
・「ふぞろいの林檎たち」1983年放送、登場人物は大学1年生。なので1964年生まれ。
・「同・級・生」1989年放送。登場人物は大学4年生。ってことは1967年生まれ。
1971年生まれの僕はいつもドラマでちょっとお兄さんとお姉さんの物語を見ていたわけで、僕も数年後にはこんなドラマチックなことが起こるのだろうかとドキドキしていた。
が、なにもおきなかった。高校に行っても大学に行っても、淡々と学校に行って菓子パン食べて、家でファミコンをしていた。なんかドラマと違う。
いま、これらのドラマを見ると登場人物が自分よりもぜんぜん年下である。なにもおきなかった空白の数年間を埋めんとの勢いでスカパーばかり見ている。

団塊ジュニアってことかなと思うが、それより少し早い。

キャラクター化

いまネットで活動している若者は顔出しOKでも自分のキャラクターイラストがあるという話を聞いた。

たしかにヒカキンのチャンネルのアイコンはイラストだし、踊ってみたの人たちも本人の横にイラストがある。

本人の横に本人を模したキャラクターがいるなんて高田社長ぐらいかと思ったが(このページの中央)、もはや普通のことらしい。

「本人そのままよりもキャラクターグッズにしやすいからではないかね」とは詳しい人の見立てである。たしかにそうかもしれない。

一方、僕は自分の顔そのままTシャツにした。

この不気味なおかしさは、「イラストにする」という大事なプロセスを抜いたからだったのだ。

納得である。

目方でドン

スマホゲームのガチャをひいてるネット生放送が面白いという話を聞いた。それはパチンコ番組やむかしDAISUKIという番組で宝くじを大量に買って発表していたのに似ている。おれも見てた。

ゲーム実況はゲームセンターCXだし、むかしのテレビをネットで真似するのはいいかもしれない。

という話をしていた。そうか、昔好きだったテレビでやってみたいもの…

「目方でドン!」だ!

と言ったけどそれはないな。

オークションのような「存在は知っているけど身近じゃなかったもの」がITで一般化するというパターンもある。そういうものはないだろうか。

よくそういう構造から企画を考えていって、結局ぜんぜん違うものを作っていることがある。ATMのきぐるみとか。

Siriが気の毒

iPhoneとAir Podsというヘッドホンを使っている。ヘッドホンをたたくとSiriが起動する。

音楽を聞いているとき、ヘッドホンをたたいてSiriに「スキップ」と言うと次の曲に飛ばしてくれる。

だが、Siriがよく「好き」と聞き間違えるのだ。

「私もアシスタントとしてあなたを思っています」とか「またまた~」などまんざらでもない返事をしてくる。おれは次の曲に飛ばしたいだけなのに。

好きって言われたと勘違いして気取った返事をするなんてコントの世界だし(ドラマだったら柳沢慎吾が演じる)、現実にそんな人がいたらかわいそうである。こんなにかっこ悪いコンピュータはなかなかない。

Siriが何度も繰り返すので気の毒になってしまい、スキップと言うのをやめた。アップルウォッチで操作している。

科学と根性

以前、最新の設備があるジムの取材にくっついて行った(この記事ね)。

専用の測定機器でジャンプの距離やステップの回数を測り、それをもとに運動能力を示すスコアを算出していた。この仕組みは近々学会で発表する予定だと話していた。

そのスマートなやりかたに「根性の世界と違いますね」と言ったらそうでもないとのこと。

センサーで数値は測るけど、その数値を上げていくのは辛い。根拠が根性から科学になっただけで、それに身体を近づけていくのはどうやっても大変。むしろ科学トレーニングほど辛いものはない

と教えてくれた。

たしかに計測のときジムの人たちは「もっと!もっと足を上げて!」と大声を出していた。

科学と根性は対立するものではないのかもしれない。

しかしその理路整然とした認識に、こういう体育をやってみたかったと思った。