ハンドルの根元をつかむと楽しい

夜、商店街を歩いてたら向かいから会社員風の男性が自転車に乗ってやってきた。

でも、ハンドルの根元を掴んでいる。軸にいちばん近いところ。

ああするとハンドルが重くなって、でも少し回すだけで前輪が大きくきれるから(ピーキーになるから)おもしろいのだろう。

あのたぶん酔ってる男は、ただ楽しいからやっている。こうやると楽しい!とSNSに書いたりもせず、家に帰ってから家族に言ったりもせず。ただ自分のために。無意識にやっている可能性もある。

ハンドルがピーキーになるからおもしろいとさっき書いたが、なんでそれがおもしろいのだろう。身体的な問題なので説明しにくい。「遊びと人間」という本に遊びの1ジャンルとして目眩があったけどそれかもしれない。違うかもしれない。

ああいう言葉で説明しにくいおもしろさをたくさん集めたい。

酔っぱらいは子どもに似てる。トーストは焼きたてのパンの状態を再現するための方法らしいけど、酔いって子どもの状態を再現するための方法なのではないかと思う。

創作に関わる仕事の人は意外に酒を飲まない人が多い。酒に頼らずに自分をトーストする方法を知っているからだと思う。

つまり僕が突然スキップ始めたりしても不審がらないで欲しい。ぜんぜん「つまり」じゃないな。

ビジネスライク犬とWELC村

知人から聞いたいい話ふたつ。

犬とボール遊びをしている人が、犬がとってきたボールについたよだれをいちいち拭いてから投げていたという。

犬好きというよりもビジネスライクに犬と遊んでいる。

とってきたボールを拭いている人を見る犬も「そんなにこの人犬好きじゃないな」と思っていただろう。

でもボールを投げられると取ってくる犬。(梅田正人さん情報)

中国に健康食品を売って民間療法ばかり発信しているWELCみたいな村があるという。

行ってみたい、WELC村。

(高須正和さん情報)

 

いらぬ心配

知人がfacebookにこんなことを投稿していた。バスのタイヤの上の座席にすわると膝が高い位置にきて恥ずかしい、と。

僕もまったく同じことを思っていた。しかも、もしバスが消えたら僕はあの可愛らしい姿勢のまま宙に浮いてしまうのだ。それは相当恥ずかしい。

トイレでもたまに思う。ここトイレだよな?いいんだよな?と心配になる。壁が消えたりしないでくれ!とも一瞬考える。

数年前に駅で女性誌のポスターを見て、何かの間違いでここに混ざることになったらどんな表情していいかわからないなと心配したこともある。

SMAPに入ったらどうしよう、誰に最初になんて言って話しかけようか、という心配はもう心配しすぎて段取りができているので安心である。

と思ったら解散してしまった。

アプリ内課金か

大阪で3時間ぐらい時間があいたのであべのハルカス展望台に登った。ひとりで。

大阪の街を見下ろしていて思ったのは、「あんまり面白くない…」だった。

あべのハルカスのせいではない。住んだことがない街だからだ。

東京ならば、「あっちが会社だ」とか「あれは昔住んでいた家の近くのガスタンクだ」「あの橋の近くで忘年会やったな」など思うのだが、土地勘がないので大阪城と心斎橋のドンキぐらいしか分からない。ただ高いだけだ。

高いところからものを見るというのは、記憶を見ているのだ、なんて思った。

グーグルマップと同じになるように写真を撮ったり、玉出を探したりしていた。

 

街に対する記憶がないのでグーグルマップぐらいしか手がかりがない。


遠くからもわかる玉出


窓から見えるものの解説に古墳があったのには興奮した

展望台で記念写真コーナーのスタッフがお持ちのスマホでも写真を撮りますと声をかけていた。

そのとき同時に記念写真コーナーの一眼レフでも撮る。その写真は出来上がりを見て気に入ったら買えばいいし、買わなくてもいいとのこと。

でも、僕のスマホでも撮ってくれるわけだし、それでいいじゃんと思ってお願いした。

スマホと撮ってくれた写真を見て感心した。

窓を背にするので逆光なのだ。スマホだと僕の顔が暗い。でも記念写真コーナーのカメラはフラッシュを使っているので、きっちり顔が写る。親切なんだけど差ができる。

うまい商売だ。なるほどと思った。

後学のために買った。


展望台は有料だが、そこから屋上にも行けると案内があった。地上300mの吹きっさらしである。魅力的だがプラス500円だった。

アプリ内課金みたいで笑った。

なんだかんだひとりでも楽しんでるな。

もうひとつの人生ごっこ、その後

デイリーポータルZで「もうひとつの人生ごっこ」という記事を書いた。

知らない部屋にいると会ったこともない「友達」がやってくるという企画だ。Airbnbで知らない街にいるとき、こういう人生もあったのかなと思う妄想を実際にやってみた。

撮影のときは「友達」役はさっさと帰ってしまったので、被験者の住さんにはふたつの世界が分断したままである。なので住さんと「友達」が打ち解ける飲み会を開いた。

「友達」は一体誰なのか、ふだんは何をしているのかを話して、ふたつの世界がひとつになった。

記事のなかのもうひとつの世界では、住さんは花見で酔っ払って女性の手を握ったという設定である。

だから来年の春にこのメンバーで花見に行くことにした。あのもうひとつの人生の舞台の街の近くがいいだろう。そこで住さんが酔っ払って本当に女性の手を握らないか期待している。

ふたつの世界がひとつになって(いまここ)、今度は向こうの世界に統合されていくのだ。

なにかあったらどうする

「なにかあったらどうする」という脅し文句が嫌いだ。

なにが起こるかを考えさせたうえに、どうするかも考えろという。汎用性ありすぎるし、言ったほうはなにも考えてない。そのくせ偉そうだ。法律で禁止した方がいいぐらいの呪いの言葉である。(仕事でよく言われる)。

ということをデイリーポータルZのメルマガで書いたところ、編集部の藤原が「なにかあったらどうする」と言われたときはたいてい江戸時代にタイムスリップしたらどうするかを考えている、と書いていた。(デイリーポータルZのメルマガはリレー形式なのだ。)

「なにかあったらどうする?」と脅したほうも、まさか江戸時代にタイムスリップしたときのことを考えているとは思わないだろう。

脅しを無力化するのにはぴったりなので、僕もこれからそう言われたら江戸時代にタイムスリップしたときのことを考えよう。