うんこは熊である

きのう、新宿駅西口の路上にうんこが落ちていた。

最近は犬のうんこもあまり落ちてないが、あれは人のだと思う。びっくりしたし、うっかり見てしまって気分が悪くなった。ツイッターを検索すると僕が見た1時間前に新宿でうんこしてるやつがいる、と書いている人がいたのできっとそういうことなんだろう。

警備員が少し離れたところに立っていた。気づかずに近づく人いたら注意するのかもしれない。あの警備員の人生を少し考えた。10代の頃、フレミングの法則を覚えたり、夏休みのプールで泳いだり、好きな人ができたりしたがまさかうんこの警備をする時間が来るとは。ライフオブサプライズである。

しかしほんもののうんこはへこむ。3月にニューメキシコに行ったときもホテルまで歩いてたらでっかいうんこがあってへこんだ。はじめての町の緊張感が一気に増した。

普段、うんこと気軽に口にするしうんこのイラストにも親しんでいるが本物はきつい。できれば避けたい。

つまりこれは、熊だ。

物語の熊はかわいいが、本物は恐ろしい。死ぬかもしれない。うんこと熊は同じである。

新しいiPhoneではアニメーションする絵文字が使えるらしく、そのなかにうんこがあると話題になっていた。でもそれはあくまでもファンタジーのうんこである。熊でいえばイヤリングを拾って踊ってくれるほうだ。

よくできた社会は死と排泄を見えないようにしていく、と昔読んだ本に書いてあった(バタイユだっけ)が、うんこと熊のことを考えてもまさにそれである。

へこんだわりにうんこの話になると筆が乗るな。

寸劇

老人に振込詐欺への注意を寸劇で説明しました。

というニュースを見かけるが、別に老人は子どもじゃないんだから寸劇ではなく普通に説明すればいいと思う。

寸劇を見せられた老人も、普通に言ってくれてもわかるんだけど好意でやってくれてるからまあ見ておくか、と思ってるのではないか。

しかし、ああいうニュースを老人の立場で見ている自分に驚く。老いだ。

どうせならヒッグス粒子の話とかを寸劇で説明して欲しい。

お札を洗う

サンフランシスコの科学館 exploratorium に行った。科学を体験させる展示がおもしろくて興奮した。脱出ゲームのスクラップも全米で大人気だしやっぱりコンテンツは体験よねーなんて話していたが、よく考えると日本の寺社仏閣も体験ものが多い。

煙を自分の悪いところにあてる。輪をくぐる。瓦を投げる。お金を洗う。鶯の鳴き声が聞こえる床。

どれも見るだけじゃなくて何かしらのアクションが必要である。それだけでも面白いのに(お金洗うのは楽しかった)、ご利益があるという。そのご利益というものが定量的に測れないというのもまた女子力アップ!とかイノベーション!みたいである。

そういうものにヒントがあるかもしれない!

…こうして珍スポットができていくのだろうか。

断言すると金になる

テレビで占い師が話しているのを見た。この日生まれの人は食べ過ぎに気をつけましょう。玄関に黄色いものが置いてあると福が訪れます。

根拠のないことを断言している。

一方、科学者は断言しない。その可能性はあります。ぐらいである。(それはとても科学的な態度だと思う)。

しかし会社や仕事でも断言する人は重宝される。「これからは水餃子だ」「このプロジェクトは長期的に必要だ!」。あの人が断言するからそうなのかな、なんて思ったりする。それが正しかったかどうかは関係がない。断言することが大事なのだ。

断言すると金になるのかもしれない。

いや、断言すると金になるのだ。断言していこう。

おにぎりにしょうゆを垂らすとうまい!
シャンメリーに焼酎を入れてもシャンパンにならない!

いや、そういうことを言いたかったのではないのだが。

 

 

 

とり皮iPhone

去年、健康診断でコレステロール値が高すぎると言われた。

数値を説明する医師に「焼き鳥の皮とか食べちゃだめだよ」とピンポイントで言われたのだが、そのときのiPhoneの壁紙が焼鳥の皮の写真だったのだ。

これ

「鳥皮ですか…そ、そんなに食べてないですねー」と言いながらテーブルの上のiPhoneを隠した。

昭和のまんがみたいだなと思った。

口の周りにあんこたくさんつけておいて「ま、まんじゅうなんて食べてないであります!」と言うコントの21世紀版だ。

民博のにおい

先週、ずっと行きたかった大阪の国立民族学博物館に行ってきた。

世界中のものすごく変わったものからちょっと変わったものまで展示されていた。こういう文系ミュージアムが存在していることが興奮する。

ゲル。いまはパラボラアンテナと太陽光パネルがついてるそうだ。

かつて日本ではアラブがこのようなイメージだったという例。そういえば月光仮面というのもこの時代の中東イメージがもとになっているのかもしれない。白いターバンだし月だし。

世界は変わったものがたくさんあるなーと思って最後に日本の展示を見るとまったく負けてないインパクトだった。これは長野の道祖神。

見てて途中で気づいたのだが、中東のテントや藁でできた人形などは匂うのだ。

その土地のくらしの匂いである。それが良かった。

インドネシアでもニューメキシコでも「うわー知らんとこ来ちゃったー」と思うのは匂いである。

今度行くことがあったら最初から展示物の匂いをかいでいきたい。

全く関係ないが、これは千里中央で見かけた下手なでかい文字。こういう大きい文字にもノウハウあるんだなと思った。

大きい下手な文字で思い出したが、これもよかった。

コンピューターを使っているのにそれでも読みやすくならないところに、AI時代に人間ができることについての示唆があるのではないだろうか。

後半、まったく心にもないこと書いた。

つぼいち

吉田類の酒場放浪記を見ていたら五坪という店を訪れていた。その名の通り店の広さが5坪なのだ。

つぼ八がもともと8坪の狭い店から始めたのは有名な話である。

大森に「つぼいち」か「いちつぼ」か忘れてしまったがそんな名前の居酒屋があった。狭い入り口の店だった。これはもしかしたら1坪?!と思って入ったら入り口だけ広くて中は柔道場みたいに広かった。時空が歪んでいた。

あれは意外だった。