余計なお世話

散歩ルートに手形付きの表札の家がある。子どものものと思われる小さな手形だ。きっとその家の子どもだろう。

しかしこの愛情は重荷ではないだろうか、とか余計なことを考える。小さい頃はいいだろう、これ僕の手形なんだーと学校の作文で書くかもしれない。幸せ家族だ。

思春期になったときに、これ重いな…って思わないだろうか。心ない友人がだせーとか言わないだろうか。中学生の僕だったら言っただろうな(とさらに余計なことを考える)。そうなったとしたら次に手形について笑って話せるようになるのは、20代なかばぐらいなんじゃないか。

いや、世間はこれぐらいでひねくれずに慶応に入って商社で働いたりするのだろうか(偏見)。いや、もしかしてあの手形の子どもはもういないとかないだろうな。

表札ひとつで心がかき乱されるので散歩ルートを変えたい。